2022.03.04 Friday
「もう絶対に現れないだろう」と思われる、田舎暮らしにふさわしい、忘れたくないうどんやがあった。「東植田の青い屋根のうどんや」と聞いて、「そうそう、そんなうどんやあった」という人もいるのではないだろうか。この「谷川製麺所」はうどんやというよりも、近郊のスーパーにうどん玉を卸す昔ながらの製麺所で、そのうどん作りの傍らでうどんやを営んでいた。二年程前に閉店してしまったけれども、ここの大きな特徴は、メニューが年中「しっぽくうどん」だけで、そしてびっくりするほど辛い唐辛子だった。
入口のメニューには、大小の値段表示があるだけ。しかも、代金と引換えに出来立ちのうどん玉をどんぶりに入れてくれるだけなので、後は自分で温めたり、置いてあるしっぽく用のずんどう鍋から出汁と具を自分ですくってうどんにかける方式だ。上手くすくえれば具沢山のしっぽくうどんになり、具が全くすくえなければただのかけうどんになる。どちらも値段は同じ、自分の技量次第だ。しっぽくの具には、冬にはイノシシの肉が入り、春には筍がどっさりと入っている。常連は、かき回さないようにおたまをずんどうのへりに沿って静かに引き上げ、沢山の具を獲得するが、県外から来たよく知らない人は、ずんどうの中をかき回し、具がぐるぐるに泳ぎ回る中をすくうので、ちょっとの具しか得られない。その上、パラッとほんの少し振りかけただけでも辛い唐辛子を普通の七味のように何振りもして、「食べられたものでない」と文句を言って帰っていく。
店の看板もなく、青い屋根を目指して通ったこの唯一無二の懐かしいうどんやのことは、ずっと記憶に留めておきたい。